COLUMN

コラム

奇跡の人ではないの体験

第40回目のコラムはエンジニアのOIさんです(入社7年目)

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「ヘレン・ケラー」を知っていますか?
 私が子どものころは誰もが知っている偉人でしたが、今は知らない人もいるかもしれません。
 150年ほど前のアメリカで障碍者の教育、福祉に尽力した女性です。
 彼女自身が、目が見えなく、耳が聞こえず、話すことができない、という三重のハンディキャップを背負っており、それでも精力的に活動する姿が、当時の多くの人に感銘を与えました。彼女の人生は、彼女を支えたサリバン先生とともに、今もなお舞台や映画の題材となっています。

彼女の人生でもっとも有名になっている場面は、手に流れる水を感じてその物体が「water」であるということに気づいた、という場面です。
 サリバン先生の指文字が理解しきれず、幼いヘレン・ケラーはカンシャクを起こし、近くにあった人形を壁になげつけて壊してしまいます。その気分を変えるため外にでようと、二人は近くの井戸端に向かいます。そこで彼女は水に触れることになります。

「その生命ある一語が私の魂を目覚めさせ、光と希望と悦びをもたらし、自由の世界へと解き放っていきました。確かに障壁はまだ残っていましたが、それらは皆、いずれ一掃できるものばかりでした」(『私の生涯』ヘレン・ケラー)

「water」に気づいて彼女の世界は大きく変わります。家に帰る道すがら、触れるものすべてに命を感じとっていき、最後には、自分の部屋に戻り、自分が壊した人形に触れて涙します。そのとき、生まれて初めて後悔と悲しみの気持ちを味わったと言っています。

この話について、私は少し似た個人的な体験をしています。今は中学生になる私の息子が幼かったころ、彼の名前「しんぺい」の頭文字、ひらがなの「し」を彼に教えたときのことです。
 ひらがな「し」を彼に教えた後、私と息子はいつもの散歩に出かけました。そこで彼は急に「しんぺいのし!」と町中の「し」を指さし始めました。看板、会社名、車両にある「し」という文字を見つけては「しんぺいのし!」を私に伝えてきます。挙句の果ては、文字ではない「し」のような形状をした枝や紐まで「しんぺいのし!」と指をさします。なんども見てきた近所の風景の中に鮮やかな意味を見つけた姿でした。

私は、その姿をみて、ヘレン・ケラーが「water」を知ったそのシーンを思い出しました。息子の興奮の中身は察するしかないですが、おそらくヘレン・ケラーがいう体験、それに近いだろうと思いました。彼の取り囲む世界が変わり、もしかして何かが目覚めつつあるのかもしれないと思いました。
 それは私自身も経験して、いつのまにか忘れ去ってしまった、誰にでもあったはずの、は特別な瞬間の興奮のようでした。

 サリバン先生の手記によると、このwaterの件からヘレン・ケラーはカンシャクもなくなり急に素直になったと言います。

 今、うちの息子はもっぱら反抗期です。ヘレン・ケラーにはサリバン先生がいましたが、息子にはサリバン先生がいないので仕方がないですかね。。

「あなたのランプの灯をいま少し高く掲げてください。見えぬ人々の行く手を照らすために」(1948年、2度目の日本訪問時に、ヘレン・ケラーが日本人に向けて)